5月8日は、親友の鄧麗君(テレサ・テン)さんの命日なので、
一番好きなCDジャケットを載せました。
醍醐寺成身院齊藤明道大僧正から、秦流方術の門人として、
「歌姫麗君」と称賛し功績を後世に伝える様に仰せ付かりました。
その逸話を紹介します。
初めて会ったのは、1983年5月中頃だったと思います。
尾崎豊が初コンサ-トを開くので、尾崎さんと一緒に、
コンサ-ト会場の下見へ出かけた際、丁度、その会場で、
リハーサル中だったのが麗君さんでした。
休憩中に二人で訪ね挨拶をすると中国茶を入れてくれたのが、
親しくなった切っ掛けです。
黄色のティーポットで急須に湯を注ぎ、注いだ湯を捨てると
花の様な爽やかな良い香りが辺り一面に広がり、その時、
初めて、中国茶を戴き、中国茶の話題で花が咲きました。
その後も、何度か会い交友は続きましたが、1992年11月、
数年ぶりに京都の醍醐寺で再会を果たすことができました。
彼女の要望で、ある日本人探しが始まり、醍醐寺成身院の
齊藤明道先生の所へ話が回って、あっと言う間に再会が
果たせたので、人の縁の不思議さには感心するばかりです。
涙ながらに握手で挨拶され、アジアの歌姫と称賛される
ス-パ-スタ-と再会して、緊張の余り手が震えたのを
今でも覚えています。
その日以来、互いに大切な親友です。
1993年5月、結婚式でお馴染みの「あなたと共に生きて行く」
が、リリ-スされると、その当日から、富岡八幡宮の信徒会館で、
この歌の放送を始め出しアジア全域で初めて結婚式の歌として、
採用されました。
八幡様の御縁で、深川周辺の皆さんとテレサ・テンさんの
友情関係が始まったのは勿論のことです。
信仰心の篤い麗君さんは、日本の神社に詣でる道教&仏教系の
クリスチャンなので、少々変った宗教関係ではありましたが、
中国の伝統と礼節を重んじていた人です。
1995年3月終わりか4月初め頃だったと思います。
麗君さんから連絡を戴き、「体調が整えば直ぐ来日します。」
活動拠点を日本へ移すと弾む様な声で話していました。
誰より一番喜んでいたのは、深川界隈の人達かも知れません。
町会長が音頭を取って、町中に熱烈歓迎の横断幕とポスタ-を
張って、アドバルーンを幾つも揚げる予定でした。
秋の来日を心待ちにしていましたが、その連絡が彼女との
最後の会話に成ります。
来日の際には時々会いましたが、麗君さんの話では、
台湾の何処かに夕日の素敵な秘密の場所があるそうです。
そこは、彼女の一番好きな風景が広がり、「人生に大きな意味を
与えた特別な星と逢える場所です。」との話でした。
現地の言伝えでは、遠い昔、日本の高僧が目の眩むほど輝く
星から、お告げを受けた聖地とのことです。
この高僧は智証大師(円珍)ですが、醍醐山清瀧党にも同じ
内容の口伝が伝承され、弘法大師(空海)直伝の求聞持法を
行ったとのことです。
弘法大師に求聞持法を伝授した大安寺の勤操大徳は、三論と
秦流方術の奥義を修めた高僧で、生駒山秦仙人の親戚であり
兄弟弟子です。
麗君さんの熱心な口添えで、齋藤先生から勤操大徳相伝の
求聞持法を伝授されました。
麗君さんの懇願には根負けしたと齋藤先生が笑っていましたが、
醐山清瀧党の秘伝伝授は滅多なことでは許されず、麗君さんの
力添えがあればこそ叶いました。
極めて異例なことですが、麗君さんの深い信仰心と大きな
人徳には、心から敬意と感謝をしています。
秘密の聖地には場所を教えてもらい一人で行く積りでしたが、
この話を聞きつけた富岡八幡宮の江戸っ子総代が大喜びして、
台湾聖地参拝ツア-の企画を組んだところ、参加希望者が
2000人を楽に超えたと大笑いしていました。
八幡様の御縁は、皆で分け合うと更に御縁が膨らむそうです。
その聖地へ皆さんを是非案内したいとの堅い約束でしたが、
果たせず、何とも心残りです。
何時か台湾を訪れ、その場所に立ち歌姫を偲びたいと思います。