聖天供の供え物②

 画像は、生駒聖天党の秘伝の一つ、古式巾着型歓喜団です。
深川八幡宮(現在の富岡八幡宮)でも、これと全く同じ製法の
ものが作られ、将軍家と御三家に献上されていました。
江戸時代の深川八幡宮には、聖天堂があり御神酒を献ずる
歓喜天酒供を修法する深川聖天党があったそうです。
湛海律師との御縁から、生駒聖天党と深川聖天党には同じ
流れの聖天潅頂が相伝されていました。

 画像の歓喜団の場合、餡を包む皮は小麦粉で作ります。
宝山寺で供物としている本式の歓喜団は、もち米で作ります。
餡の製造方法は双方同じだったと聞いています。
江戸時代から昭和26年頃まで、宮中への供物としていました。
大正天皇から、薬臭くて不味い菓子との不興を買うほどですが、
日本で初めて、長崎出島のカピタンから白砂糖を譲り受け、
菓子に使用したのが生駒山宝山寺の歓喜団とされています。

 生駒山歓喜団には意外な因縁話があるので紹介したいと
思います。
米米クラブの石井竜也さんが、浪漫飛行を作詞している真っ
最中の頃でした。
たっちゃんの親父さんが日本一の菓子である生駒山歓喜団を
食べに、生駒山へ行ったそうです。
坊さんに歓喜団を譲ってほしいと頼んだところ、供物ではなく、
画像にある小麦粉の歓喜団を渡され食べたところ、矢張り、
美味しく感じなかったそうです。
その話を聞いた富岡八幡宮の茂永兄様が、将軍家や御三家に
献上する菓子だったから、不味いハズは無いと言うのです。
実際的に、この歓喜団は、シベリアケーキやプリッツなどの
モデルとされ相応の定評はあります。
関東大震災までは、富岡八幡宮門前でも縁起物の土産として、
売っていたそうで、漉し餡をクッキ-の様なサクサクした甘い
皮で包み、ニッキを少し降り掛けていたと氏子総代さんからも
聞きました。

宝山寺へ入山し歓喜団を作り始めましたが、本式の歓喜団は、
胡麻の香りが香ばしく、甘みも丁度良く独特の歯ごたえと
香りで、真似のできない菓子だと思いました。
当院でも、宝山寺の味を再現しようと精進を重ねていますが、
今一つ及ばないのが実情です。
現在の宝山寺の味は、古式型に改良を加えて、より美味しい
出来栄えです。
最近の宝山寺では熟練組が減り、品質保持の苦心があるそうです。
当院でも危機感が募っています。
とりあえず、この度は歓喜団の紹介をしておきましたが、和菓子の
奥深さが伝われば幸いです。

秘伝歓喜団1-1


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18 : 03 : 34 | 歓喜天 | コメント(0) | page top↑

聖天供の供え物① 

 画像は、生駒聖天党の秘伝羊羹です。
作り方の基本は、歓喜団の餡と同じで胡麻油を加えず寒天を入れて
固めます。
味は、普通の羊羹とは違いエキゾチックなアジアン風な仕上りで、
早い話、太田胃散風味の小豆餡です。
昔の宝山寺では、この羊羹をサイコロぐらいの四角に切り、歓喜団の
餡にしました。
この餡に合う様な皮を考案して、現在の巾着型に辿り着いたそうで、
巾着型歓喜団は、宝山寺が発祥です。
この巾着歓喜団を作れる人達を指して歓喜團と呼び、生駒聖天党に
属していました。
明治に入り神仏分離令が出されるまでは、生駒神社の宮司達さんも
生駒聖天党の一員だったとの話です。

この度は、納め観音の供え物として秘伝羊羹を作り、今年一年の感謝を
致しました。
久々に作ったものですから、砂糖の匙加減を間違えた様で甘過ぎました。
今では、レパートリーも増え、そこそこの物は作れるようになりましたが、
まだまだ、修行が足りません。
和菓子作りには、少々、自信があって、もし、出家していなければ、
北茨木市の石井製菓に弟子入りして、和菓子職人を目指したと思います。
丁度、米米CLUBのたっちゃんが浪漫飛行を作詞している頃に喫茶店で、
スカウトされました。
浪漫飛行が大ヒットした時、織田無道さんも非常に喜んでいました。
当時のたっちゃんは、甘さ控えめの物が好きだったらしく、菓子よりも、
歌詞の方に興味があると話していたのを覚えています。

来年の目標として、この秘伝羊羹を使った巾着型歓喜団を再現しようと
思っています。
その他にも、秘伝の葛餅と蕨餅があり、何れ、掲載する予定です。

秘伝羊羹1

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18 : 45 : 50 | 歓喜天 | コメント(0) | page top↑

聖天浴酒供④

 前回、浴酒供③の続きです。

 画像は、生駒聖天秘伝の甘酒です。
製造後21日経過して、表面に少しカビが生えています。
この甘酒の製造方法は、江戸時代の中頃、伊賀の忍びが秘薬として、
生駒山修験と宝山寺に伝えました。
実は、この忍び、葛根湯で有名な阪本漢方のご先祖です。

生駒山修験が大名と合戦寸前に成った時、大量の傷薬と干飯を
調達した人で、他にも、興福寺の僧兵や根来寺から鉄砲隊100丁が
駆け付け、東大寺の僧兵が後詰めとして控えていました。
伊賀勢が各地に触れを出し回ったので、あっと言う間に大名の
兵力より大きく成り、加勢が増え過ぎて朝廷が仲裁に入りました。
この時、興福寺の僧兵が、この干飯で粥を作り甘酒にして大阪から
見物に来た人達に売って、戦費を捻出したそうです。

興福寺の甘酒は、天下一の美味だったそうですが、宝山寺相伝の甘酒は、
余りにも凄すぎる味で、松本貫主も飲めずに浴酒供を断念した程です。
さすがの和田先生も、これには絶句するほどの味で渋い顔でした。
何となくカビ臭く、ヌメリがあって酸味が強いです。
味は悪くても、飲んで害はないとの話ですが、この秘薬は、刀傷に使う
塗薬の材料なので飲用ではないそうです。

 今回の浴酒供で使用したのは、上醍醐寺直伝の甘酒で、渡部先生と
同じ製造方法です。
浴酒供は甘粥供養から始まり、弘法大師請来の歓喜双身天供よりも古く、
東大寺の婆羅門僧正菩提僊那の口伝まで遡ると言われています。
生駒山では、山中での排便を控えるために甘粥を修行食としていたそうで
後に伊賀へ伝わり秘薬の原料として発展したそうです。
意外な話ですが、渡部先生は、忍たま乱太郎に出て来る忍術学園の
学園長 大川平次渦正のモデルとの話です。
テレビの放映で、学園長が戸棚に羊羹を隠しているシーンは、
原作者の尼子先生が取材で伝法学院に訪れた時、渡部先生が戸棚から
虎屋の羊羹を茶菓子に出したのを見て驚き、印象に残るシ-ンに
描いたそうです。
何しろ、出涸らしの茶に虎屋の羊羹が付いてくるアンバランスさが、
味わい深かったとの話でした。
羊羹も、歓喜天が喜ぶ大切な供え物の一つです。

2004年5月に渡部先生から生駒山修験の宗家と座主を引き継ぎましたので、
積もる土産話もあり、尼子先生と再会できる日を楽しみにしています。
生駒山修験の正式名称は、当山派生駒山流両部修験神道です。
秦流方術と法道仙人相伝の柱源神法を母体に、興福寺から三輪山流神道を
相伝され、明治5年の修験道廃止令前まで興福寺に属していました。
以後、神仏分離を条件に、明治天皇から初めて修験復興を許されたのが、
当山派生駒山修験です。

生駒山秘伝甘酒1-2

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17 : 46 : 13 | 歓喜天 | コメント(0) | page top↑

聖天浴酒供③

前回、浴酒供②の続きです。

 只今、生駒聖天秘伝の甘酒を製造中です。
順調に粘りを出しているので、近日、公開できると思います。
その前に、市販の麹に課題が残っていたので、麹菌を自作しました。
画像の通りです。
これは、撮影用に培養した麹菌なので、この状態では育ち過ぎですが、
とりあえず、昔ながらの上醍醐寺製法です。
麹屋の培養床は米を蒸すのですが、寺では炊いた飯を利用しました。
飯麹は、直ぐに使わないと育ち過ぎて甘味が出ない難点があります。
現代では電気炊飯器の利用が主なので、堅目モードで炊くか残り飯の
水分を良く飛ばしてから培養床を作ります。
麹菌は、飯の水分が多いと勢いよく繁殖するものの癖のある匂いが出て、
甘味の少ない独特の仕上がりとなります。
堅く炊き過ぎても飯が直ぐに乾びて、米の堅い粒が残ってしまい
口当たりが今一つです。
最近では、温度管理が簡単な甘酒製造専用機具が市販されていて、
この甘酒製造機具で作ると非常に甘みの強い甘酒が作れます。

 今回は、自作麴菌を使った甘酒に秘伝の加工を施して、お供え用に
仕上げました。
久々に作った甘酒も美味に仕上がり、何となく一安心です。
お供えにする甘酒の加工方法は、富岡八幡宮の長子姉様直伝です。
これは公家に伝わっていた甘酒で、特別な日のみに作られました。
後に、御室御所の甘酒と同じ製法なのを知り感激したのですが、
この製造方法を知る人も減り寂しい限りです。
普段の振舞い用は、大量に作らなければならず、甘酒屋の作り方と
同じ要領で作るそうです。
最近では、自作するよりも市販の甘酒の方が美味しいと思うので、
お供え用は、市販の甘酒をお奨めします。

天下一と言われた興福寺相伝製法の甘酒は、残念ながら秘伝麹菌が
入手できず再現を断念しています。
何れ、興福寺の許しが出たら秘伝麹菌を採取しに行きたいと思います。
秘伝麹菌の隠れ処は、万葉の昔から内緒だそうです。

自作麹菌1-2

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17 : 55 : 24 | 歓喜天 | コメント(0) | page top↑

聖天浴酒供②

前回、浴酒供①の続きです。

 令和5年11月4日で、宝山寺第十六世の慧證様が入滅されて、
満90年に成ります。
慧證様は、上醍醐寺で加行された三宝院流最後の宗家です。
一門の隅にいる者としては、慧證様お得意の歓喜天浴酒供を
何とか再現させたいと願っていました。
これには、少し入組んだ裏話があり、その当時、小野の随心院で
執事長をしていた市橋先生の元へ挨拶に出かけた際、先生との話で、
初めて、聖天浴酒供の存在を知りました。
市橋先生は、醍醐聖天党への加入時に推薦をしてくださった方で、
浴油供の作法や道具の整えを細かく教えてくれた恩師でもあります。
市橋先生の話では、歓喜天浴酒供に関しては、観蔵院掛川別院の
生駒聖天御分霊の方が先行しているので、手解きを受ける様に
奨められた次第です。
観蔵院住職の和田先生は遠縁でしたから、気兼ねなく手解きを
受けられましたが、和田先生は甘酒作りに苦戦中で、その点に
課題を残していました。
聖天党の行者は、供物の製造方法を一通り身に付けなければならず、
聖天潅頂を授かるには実技試験があります。
その後、諸々の準備を済ませた上で、渡部先生から正式に伝授を
戴きました。
それから23年が過ぎ去り、漸く念願であった自作の甘酒を使い、
生駒聖天御分霊で歓喜天浴酒供の修法が叶いました。

 画像は、自作の甘酒です。
上醍醐寺直伝の製造方法で作った昔ながらの味です。
古代インドでは、ココナッツミルクを醗酵させた甘い飲料をソ-マ
(सोम、soma)に見立てて、ガネ-シャ(गणेश, ganesa)像に塗り、
供養していたことから、それを模倣したのが、歓喜天浴酒供の
モデルと言われています。
日本では、甘酒で代用しました。
更に別の実験が成功すれば、次回の掲載で、宝山寺相伝の秘伝甘酒を
紹介できるかもしれません。

甘酒1

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18 : 31 : 44 | 歓喜天 | コメント(0) | page top↑
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プロフィール

上村俊顕

Author:上村俊顕
生駒山修験中興第三世宗家座主
生駒聖天党 法呪師本部大阿闍梨位
生駒山宝山寺八王子分院施法院院主

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