画像は、当院で祭る柱源神法の荘厳です。
柱源神法について質問を戴いたので、この場で紹介します。
柱源神法の法具は、殆ど見かけないと思います。
当院では、ご覧の通り護摩は焚けないので、柱源神法の理護摩供を
修法します。
この法具は、特別誂えで京都の上田法衣仏具店で扱っています。
主に天台系が使用する金属製の水輪は、修験専門店の林勘法衣店で
扱っています。
当院の柱源法具は、上田仏具の試作第2号で、第1号は宝山寺の
吉田弘道総務部長が自坊で祭っています。
伝法学院や上醍醐寺の水輪をモデルに黒の漆塗りにしていますが、
水輪の中には、朱色の根来塗もあります。
中西哲玄元伝法学院院長によれば、水輪は自作せよとのことです。
修験章疏を読む限り当山派と本山派では、供養法次第が違うように
思えますが、基本的な根幹部分は同じです。
解釈は、それぞれ異なります。
当山派次第の方が密教的色彩の濃い雑部密教です。
原型に近いのは、本山派の次第だと思います。
生駒山の口伝では、天竺から渡来した法道仙人が孝徳天皇に祈祷を
乞われ、元興寺に逗留した縁で、元興寺の弟子だった小角行者に、
柱源の奥義を授けたとされています。
この方は、賀茂役君大角行者の従弟で、後に、生駒山麓一帯を治める
秦一族の長の婿養子に成ったと伝わっています。
賀茂役君大角行者の末裔は、後に陰陽家の賀茂氏になります。
この時代は、紙の生産量が乏しく、木閑や竹閑に文字を記していましたが、
専ら口伝による継承が殆どです。
賀茂氏に伝わる伝承口伝は、信用性が高いと思います。
柱源口伝では、箕面の滝に於いて、法道仙人が小角行者に、龍樹菩薩の
秘伝を授けたそうです。
この小角行者の正式名は不明ですが、小角兄弟の一番末の弟であると
伝わっています。
この為、柱源神法の元となる理論は、元興寺から始まり、次第に、
雑部密教として法相宗の呪師部が継承するようになりました。
龍樹菩薩の秘伝とは柱源潅頂とされていますが、実際は、唐から伝わった
道家の易占だったそうです。
この流儀は、後々、播磨地方の陰陽師へと相伝されているとの口伝です。