前回、浴酒供①の続きです。
令和5年11月4日で、宝山寺第十六世の慧證様が入滅されて、
満90年に成ります。
慧證様は、上醍醐寺で加行された三宝院流最後の宗家です。
一門の隅にいる者としては、慧證様お得意の歓喜天浴酒供を
何とか再現させたいと願っていました。
これには、少し入組んだ裏話があり、その当時、小野の随心院で
執事長をしていた市橋先生の元へ挨拶に出かけた際、先生との話で、
初めて、聖天浴酒供の存在を知りました。
市橋先生は、醍醐聖天党への加入時に推薦をしてくださった方で、
浴油供の作法や道具の整えを細かく教えてくれた恩師でもあります。
市橋先生の話では、歓喜天浴酒供に関しては、観蔵院掛川別院の
生駒聖天御分霊の方が先行しているので、手解きを受ける様に
奨められた次第です。
観蔵院住職の和田先生は遠縁でしたから、気兼ねなく手解きを
受けられましたが、和田先生は甘酒作りに苦戦中で、その点に
課題を残していました。
聖天党の行者は、供物の製造方法を一通り身に付けなければならず、
聖天潅頂を授かるには実技試験があります。
その後、諸々の準備を済ませた上で、渡部先生から正式に伝授を
戴きました。
それから23年が過ぎ去り、漸く念願であった自作の甘酒を使い、
生駒聖天御分霊で歓喜天浴酒供の修法が叶いました。
画像は、自作の甘酒です。
上醍醐寺直伝の製造方法で作った昔ながらの味です。
古代インドでは、ココナッツミルクを醗酵させた甘い飲料をソ-マ
(सोम、soma)に見立てて、ガネ-シャ(गणेश, ganesa)像に塗り、
供養していたことから、それを模倣したのが、歓喜天浴酒供の
モデルと言われています。
日本では、甘酒で代用しました。
更に別の実験が成功すれば、次回の掲載で、宝山寺相伝の秘伝甘酒を
紹介できるかもしれません。