聖天浴酒供④

 前回、浴酒供③の続きです。

 画像は、生駒聖天秘伝の甘酒です。
製造後21日経過して、表面に少しカビが生えています。
この甘酒の製造方法は、江戸時代の中頃、伊賀の忍びが秘薬として、
生駒山修験と宝山寺に伝えました。
実は、この忍び、葛根湯で有名な阪本漢方のご先祖です。

生駒山修験が大名と合戦寸前に成った時、大量の傷薬と干飯を
調達した人で、他にも、興福寺の僧兵や根来寺から鉄砲隊100丁が
駆け付け、東大寺の僧兵が後詰めとして控えていました。
伊賀勢が各地に触れを出し回ったので、あっと言う間に大名の
兵力より大きく成り、加勢が増え過ぎて朝廷が仲裁に入りました。
この時、興福寺の僧兵が、この干飯で粥を作り甘酒にして大阪から
見物に来た人達に売って、戦費を捻出したそうです。

興福寺の甘酒は、天下一の美味だったそうですが、宝山寺相伝の甘酒は、
余りにも凄すぎる味で、松本貫主も飲めずに浴酒供を断念した程です。
さすがの和田先生も、これには絶句するほどの味で渋い顔でした。
何となくカビ臭く、ヌメリがあって酸味が強いです。
味は悪くても、飲んで害はないとの話ですが、この秘薬は、刀傷に使う
塗薬の材料なので飲用ではないそうです。

 今回の浴酒供で使用したのは、上醍醐寺直伝の甘酒で、渡部先生と
同じ製造方法です。
浴酒供は甘粥供養から始まり、弘法大師請来の歓喜双身天供よりも古く、
東大寺の婆羅門僧正菩提僊那の口伝まで遡ると言われています。
生駒山では、山中での排便を控えるために甘粥を修行食としていたそうで
後に伊賀へ伝わり秘薬の原料として発展したそうです。
意外な話ですが、渡部先生は、忍たま乱太郎に出て来る忍術学園の
学園長 大川平次渦正のモデルとの話です。
テレビの放映で、学園長が戸棚に羊羹を隠しているシーンは、
原作者の尼子先生が取材で伝法学院に訪れた時、渡部先生が戸棚から
虎屋の羊羹を茶菓子に出したのを見て驚き、印象に残るシ-ンに
描いたそうです。
何しろ、出涸らしの茶に虎屋の羊羹が付いてくるアンバランスさが、
味わい深かったとの話でした。
羊羹も、歓喜天が喜ぶ大切な供え物の一つです。

2004年5月に渡部先生から生駒山修験の宗家と座主を引き継ぎましたので、
積もる土産話もあり、尼子先生と再会できる日を楽しみにしています。
生駒山修験の正式名称は、当山派生駒山流両部修験神道です。
秦流方術と法道仙人相伝の柱源神法を母体に、興福寺から三輪山流神道を
相伝され、明治5年の修験道廃止令前まで興福寺に属していました。
以後、神仏分離を条件に、明治天皇から初めて修験復興を許されたのが、
当山派生駒山修験です。

生駒山秘伝甘酒1-2

テーマ:同人活動 - ジャンル:サブカル

17 : 46 : 13 | 歓喜天 | コメント(0) | page top↑
<<聖天供の供え物①  | ホーム | 聖天浴酒供③>>
コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

| ホーム |

プロフィール

上村俊顕

Author:上村俊顕
生駒山修験中興第三世宗家座主
生駒聖天党法呪師部大阿闍梨位
醍醐山清瀧党法務
生駒山宝山寺八王子分院
施法院院主                

生駒聖天党の灌頂大阿闍梨と
法務を兼務しています。
醍醐山清瀧党の法務担当です。
プロフィール写真は、清瀧党の
中でも雙龍秘伝を授けられた
者のみが許される印です。
得意は、歓喜天浴酒供です。
当山派生駒山流両部修験神道の
宗家と座主を兼務する傍ら、
柱源法流を受け継ぎ、秦流方術の
広報と興隆にも力を入れています。

最新記事

カテゴリ

紹介 (1)
コラム (2)
歓喜天 (7)
牛頭天王 (0)
秦流方術 (1)
柱源神法 (9)
修験道 (3)
両部神道 (0)
お知らせ (3)
ジャニ-ズ (1)

リンク

このブログをリンクに追加する