画像は、生駒聖天党の秘伝の一つ、古式巾着型歓喜団です。
深川八幡宮(現在の富岡八幡宮)でも、これと全く同じ製法の
ものが作られ、将軍家と御三家に献上されていました。
江戸時代の深川八幡宮には、聖天堂があり御神酒を献ずる
歓喜天酒供を修法する深川聖天党があったそうです。
湛海律師との御縁から、生駒聖天党と深川聖天党には同じ
流れの聖天潅頂が相伝されていました。
画像の歓喜団の場合、餡を包む皮は小麦粉で作ります。
宝山寺で供物としている本式の歓喜団は、もち米で作ります。
餡の製造方法は双方同じだったと聞いています。
江戸時代から昭和26年頃まで、宮中への供物としていました。
大正天皇から、薬臭くて不味い菓子との不興を買うほどですが、
日本で初めて、長崎出島のカピタンから白砂糖を譲り受け、
菓子に使用したのが生駒山宝山寺の歓喜団とされています。
生駒山歓喜団には意外な因縁話があるので紹介したいと
思います。
米米クラブの石井竜也さんが、浪漫飛行を作詞している真っ
最中の頃でした。
たっちゃんの親父さんが日本一の菓子である生駒山歓喜団を
食べに、生駒山へ行ったそうです。
坊さんに歓喜団を譲ってほしいと頼んだところ、供物ではなく、
画像にある小麦粉の歓喜団を渡され食べたところ、矢張り、
美味しく感じなかったそうです。
その話を聞いた富岡八幡宮の茂永兄様が、将軍家や御三家に
献上する菓子だったから、不味いハズは無いと言うのです。
実際的に、この歓喜団は、シベリアケーキやプリッツなどの
モデルとされ相応の定評はあります。
関東大震災までは、富岡八幡宮門前でも縁起物の土産として、
売っていたそうで、漉し餡をクッキ-の様なサクサクした甘い
皮で包み、ニッキを少し降り掛けていたと氏子総代さんからも
聞きました。
宝山寺へ入山し歓喜団を作り始めましたが、本式の歓喜団は、
胡麻の香りが香ばしく、甘みも丁度良く独特の歯ごたえと
香りで、真似のできない菓子だと思いました。
当院でも、宝山寺の味を再現しようと精進を重ねていますが、
今一つ及ばないのが実情です。
現在の宝山寺の味は、古式型に改良を加えて、より美味しい
出来栄えです。
最近の宝山寺では熟練組が減り、品質保持の苦心があるそうです。
当院でも危機感が募っています。
とりあえず、この度は歓喜団の紹介をしておきましたが、和菓子の
奥深さが伝われば幸いです。