柱源神法の紹介③

 画像は、元興寺の道昭法師像です。
この方は、玄奘三蔵の愛弟子で行基菩薩の師でもある
高僧です。
柱源法流の祖としても過言ではないので修験の祖でもあり、
賀茂役君小角行者達の仏道修行における師でもあります。
この関わり合いを知ると理解が進み修験を知る手がかりを
得られます。
この時代には、複雑な背景があるにも拘らず歴史的資料が
限られているので、口伝を交えて解説したいと思います。

 道昭法師についての詳細は、続日本紀の文武天皇4年
3月己未の記載をご覧頂くと大凡の人物像が分かります。
その記載には、三蔵法師が見ず知らずの日本人僧を歓待し
厚遇した理由が示されています。
三蔵法師が天竺へ向かう途中、飢え死にしそうな時に、
三蔵法師を助けた西域の沙門と道昭上人は、同じだと
語っています。
この記述だけでは、三蔵法師に梨を食べさせた沙門と
道昭法師を同一視する理由が示されていないので話の
筋が通じません。
しかし、柱源口伝では、その西域の沙門が法道仙人です。
つまり、法道仙人の弟子の一人が道昭上人です。
この口伝は、道昭法師が愛弟子の一人に秘事を明かした
際の話とされ、柱源の伝授では、深沙大将の口伝と共に
授けられます。

道昭法師が遣唐使として入唐する際、私的にも莫大な
費用が必要でした。
私的に必要な費用を援助した中心が、秦一族、賀茂一族、
三輪一族です。
賀茂一族が水銀と水晶、秦一族は扶桑の秘薬である髭ゴボウ、
三輪一族が玉虫を唐の皇帝に献上して、その挨拶の文面に、
徐福の弟子である子孫が、唐の天子に約束を果たしますので、
遣唐使一行の便宜を図る様にとの懇願をしたそうです。
この挨拶状が唐の皇帝を大層喜ばせ、道昭法師は唐の皇帝と
謁見を果たせました。
この席で、法道仙人一行の赦免を願い出て許されたと
伝わっています。
法道仙人一行は、唐の皇帝の許しなく出国していたので、
唐では異国人の密入国者として追われていましたが、
この件を無事に解決して三蔵法師を喜ばせたのです。
道昭法師を援助した秦宗家、加茂宗家、三輪宗家には、
それぞれ柱源が伝わり、秦宗家の相伝が後の伝教大師へ
相伝されます。
次回は、法道仙人の人物像を解説する前に、伝教大師に
関する口伝と逸話を紹介しましょう。

道昭法師2-1

テーマ:同人活動 - ジャンル:サブカル

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プロフィール

上村俊顕

Author:上村俊顕
生駒山修験中興第三世宗家座主
生駒聖天党法呪師部大阿闍梨位
醍醐山清瀧党法務
生駒山宝山寺八王子分院
施法院院主                

生駒聖天党の灌頂大阿闍梨と
法務を兼務しています。
醍醐山清瀧党の法務担当です。
プロフィール写真は、清瀧党の
中でも雙龍秘伝を授けられた
者のみが許される印です。
得意は、歓喜天浴酒供です。
当山派生駒山流両部修験神道の
宗家と座主を兼務する傍ら、
柱源法流を受け継ぎ、秦流方術の
広報と興隆にも力を入れています。

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