柱源神法の紹介⑧

 画像は、奈良県御所市の三光丸クスリ資料館展示の
神農図です。
こちらの会社は歴史が古く、当山派修験の流れを汲む
南朝方の系図です。
御所市は、巨勢氏、葛城氏、賀茂氏、秦氏と所縁のある
土地柄で、修験史では重要な場所です。
柱源神法と神農の関係は重要で、当山派修験の柱源を
継承する場合、口頭試験の出題範囲となります。
その関係で詳しく紹介できませんが簡単に説明します。

 西暦649年以前からの習わしだとは思いますが、
神域や霊山の山中に分け入り、産物を収穫できるのは、
男に限られていた場所が多い様です。
逆に、女に限られる場所もあった様です。
この人達は、山に関する知識が豊富で山の仕来たりにも
詳しいのですが、この選ばれた男達の中でも、更に、
隋や唐からもたらされた知識である神農本草経を学び、
山中の草根木皮の収穫を専門に行う集団がありました。
この集団を神農党と呼びます。
神農本草経を捲ると最初に神農像が描かれていて、これが、
神農党と呼ばれる由縁との口伝です。

例えば、秦神農党、賀茂神農党、葛城神農党など各氏族には、
それぞれの特産物があり、朝廷へ租としても納めましたが、
互いに、これらの品物を物々交換していたそうです。
三輪氏のように少名彦命の関係で、神農党を設けない氏族も
ありました。

この神農党の頭は、山に入る時の初めである戸開けと
山を降りる戸閉に儀式を行い、その祭儀の一つが山中で
行う柱源神法式と成ります。
この場合、護摩ではなく供え物を奉げます。
祭儀の供え物は、一般的な場合、米、酒、塩、水ですが、
柱源では、米と水を使います。
結局、米と水で何が作りだせるのか、この部分が大事です。
この儀式を仏式にするか、方術式するか、古式にするか、
それぞれ違いはあるものの山の神に許しと感謝の儀式を
行います。
これ以上は、試験の出題に抵触するので説明できませんが、
ここまでの経緯に柱源神法の奥義が存在しています。
間の話を抜いてしまうとアッサリ簡単に結論は出ます。
柱源を学びたい方は、この間の話を確り考えて戴けば、
必ず奥義まで到達するように法式は組まれています。

 西暦649年、秦流柱源の祖である法道仙人が孝徳天皇に
乞われ病気平癒の祈祷により法験を顕わしました。
その際に用いた薬湯の生薬を調達したのが生駒山秦王党と
口伝されています。
法道仙人一行中にいた神農の末裔を称する唐人僧により、
絵図入りの神農本草経がもたらされる以前は、生駒山
秦王党と称していた様ですが、この故実を以って、
生駒山神農党へ改めたと口伝されています。

この唐人僧には、方術の方士説と仏教の法師説があり、
醍醐寺成身院の齋藤先生の説では、法道仙人とは、
唐から来朝した方士の僧名ではないかとの話です。
生駒山口伝では、播磨へ移住したのが天竺の法道仙人
ですが、渡部先生の話も、神戸市灘区周辺の六甲山へ
移住した天竺僧との話でした。
共通説は、三十三間堂に祭られる婆藪仙人のモデルは、
西域から玄奘三蔵と旅を共にした仏教僧の法道仙人です。
生駒山神農党では、西暦649年に秦流柱源の儀式を
行って以来、約1374年間の歴史を重ね現在に至ります。

次回は、余り知られていない柱源と酒神の関係を綴ります。

神農図2 (2)-1

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プロフィール

上村俊顕

Author:上村俊顕
生駒山修験中興第三世宗家座主
生駒聖天党法呪師部大阿闍梨位
醍醐山清瀧党法務
生駒山宝山寺八王子分院
施法院院主                

生駒聖天党の灌頂大阿闍梨と
法務を兼務しています。
醍醐山清瀧党の法務担当です。
プロフィール写真は、清瀧党の
中でも雙龍秘伝を授けられた
者のみが許される印です。
得意は、歓喜天浴酒供です。
当山派生駒山流両部修験神道の
宗家と座主を兼務する傍ら、
柱源法流を受け継ぎ、秦流方術の
広報と興隆にも力を入れています。

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