ブログを綴るに当り、『役行者』の人物像と『修験』の解説と、
どちらを先に紹介すべきか迷いました。
どちらも修験教義に必要不可欠な定義ではありますが、
その範囲を特定するに当り、非常に厄介な問題に直面します。
各流派や各地の霊山による伝承の違いが大きく、統一的な
見解が出し難い課題が存在しています。
例えば、「役行者は修験道の開祖なのか?嚢祖なのか?」
この問題だけでも、意見が分かれ流派による違いがあります。
開祖の場合、「修験道のもとを開いた最初の人」」の意になり、
嚢祖の場合、「修験道を始め出した人」の意に成ります。
一般的には、同じ意味に受け取ってよいのですが、役行者を
真似して修業した最初の人(中興の祖と呼ばれる人)により、
些か定義の意味合いが違ってきます。
なぜなら、「修験道とは何か?」この言葉の定義が明確に、
示せない宗教的な違いが生じるためです。
この課題は、修験の基に成る教義は何かを特定することに、
他なりません。
更に、もう一つ、「役行者には、師匠はいないのですか?」
この疑問に、どの様な回答を見出すかで、修験の意味する
定義が異なります。
その具体例としては、
「孔雀明王の呪法を極めたから、空を飛べたのか?」、
「秦氏相伝の仙術(方術)を極めたから、空を飛べたのか?」
どちらの説ならば、役行者の空を飛ぶ伝説が可能であるのか、
修業方法と学んだ術が異なります。
伝説にするにしても、孔雀明王の呪法では無理がでます。
どちらの説が有力になるのかは、流派により見解が異なりますが、
日本の伝説上、空を飛ぶ伝説を持つのは、久米仙人と役行者のみで、
とちらの説であっても、雑部密教と方術の関り合いは認められます。
この秦氏相伝といわれる方術は、「道教なのか?古神道なのか?」
更に、細かい分類の必要が出てきます。
ここで、問題を元へ戻すと、「役行者の師匠は誰ですか?」
この問いが解けないと、更に別の難題が待ち受けています。
修験道は、日本独自の精神文化に基づいた日本独特の宗教ではなく、
日本独自の精神文化を生み育てた宗教思想の一つなのですが、
歴史的史実に基づく定義付けに窮する問題を内包しているのです。
役行者を知る手掛かりは、『続日本紀』に数行記載されたのみで、
その他にも、『日本霊異記』にも記載されていますが、こちらは、
薬師寺の景戒を中心に、法相の学僧たちが平安時代初期に記した
仏教説話集です。
説話集とは、おとぎ話の伝承集なので、史実ではありません。
そこで、『続日本紀』を読むと大島へ流罪となったとしか、
数行の記載しか見当たらず、その他の事は不明なままです。
最終的には、後世の各宗祖による役行者像の定義づけを
待たなければ、「修験道とは何を意味するのか?」
これすら明確な回答は出来ないのです。
こうなると垂迹神の問題も絡み蔵王権現や三宝荒神の理解は進まず、
柱源神法の原理も全く分かりません。
これらの話は、後々テーマ別に解説して行きます。
ここでは、当山派修験道の相伝と生駒山の伝承から、役行者と
修験道の関係を紐解くことから試みたいと思います。
生駒山の伝承は、比較的、事実に近い伝承として口伝され、
非常に面白く興味深い話です。
更に、柱源神法には、継承者のみが伝授される口伝の伝承があり、
こちらも合わせながら、役行者の実在象と修験の解説を
進めたいと思います。