修験とは何か?③

 修験道の成立を知る手掛かりとして欠かせない資料が、
『続日本紀』と『日本霊異記』です。
当山派修験道では、更に『修験道要典』と『修験道聖典』も、
必要不可欠な資料となります。
これらの資料を併せながら、役行者像を捉えて行きたいと
思います。

手持ちの『日本霊異記』は、小学館の日本古典文学全集です。
著者は、薬師寺の官僧であった景戒とされています。
官僧とは、天皇から得度を許され、官立の戒壇で授戒を受け、
僧位僧官を有する僧侶です。
官僧は、納税や兵役が免除されていました。
官僧になるには試験があり、相応の学問がないと合格しません。
紙や墨は非常に高価で、一般庶民では使えませんでした。
文字を学ぶだけでも、限られた人達だけしか許されていない時代に、
漢文を滞りなく書けなければならず、非常に難関な試験で、
この当時は、妻帯者でも官僧に成れました。
景戒についての詳細な人物像は不明ですが、非常に博学な
文化人であることは確かです。
景戒上人については、非常に興味の尽きない方なので、
機会があれば、薬師寺の方に尋ねてみようと思います。

 本文中の記載から延暦6年(西暦787年)には、既に底本が
完成していた様に見受けられます。
役小角が伊豆大島に流罪となってから、88年後のことです。
この年代間の差は非常に大事で、景戒上人の知り合いや親戚には、
役行者と直接会った人が含まれると思われるためです。
『日本霊異記』上巻第28話に、役行者の記載があるので、
ここから紐解いてみましょう。

役行者の史実的名称は、賀茂氏役君小角と言われていました。
氏(うじ)は賀茂一族、姓(かばね)は役の君なのですが、
少々、論争が出るのは名の小角です。
幼名が、小角(おずぬ)なのか?
それとも、角から新宅にでた家の息子を指すのか?

生駒山の口伝では、本屋(おもや)を大角、新宅を小角と呼び、
賀茂一族の中で、雇役(身役労働の納税)を管掌していた
角一家の中で新宅に出た家の息子を表す名称を指します。
個別の呼称については、ハッキリしないのが事実です。
早い話、地方豪族である賀茂一族の中で、雇役を管掌していた
長官の角家から分家した家の息子を指します。
こうなると役行者の該当者は多数に及び、実際、雇役の長官、
薬園師、医師(くすし)、笛の楽師などが実在していた様です。
書物により、役行者の生まれ年が異なるのは、このためです。
修験の成立を紐解く意味で、非常に重要な意味を持っています。
ここで、修験の祖とされる役行者を特定する一番の決め手が、
大島流罪の人物は、どの様な方だったのか?
この点に集約されてきます。


テーマ:同人活動 - ジャンル:サブカル

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生駒山修験中興第三世宗家座主
生駒山 八王子施法院院主

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